時に1575年(天正3年)、長篠の戦いで甲斐の武田勢を破った織田信長(椎名桔平)は、翌1576年(天正4年)、その天下統一事業を象徴するかのごとき巨城を、琵琶湖を臨む安土の地に建築することを決意した。それも五重の天主、西洋の大聖堂のような吹き抜けの構造を持った大城郭の建立を、である。果たして、設計及び現場の総棟梁として信長が見込んだ男こそ、今川義元との戦以来、十数年に渡って才気を評価してきた熱田の宮大工・岡部又右衛門(西田敏行)であった。
信長から直々の厳命を受けた又右衛門がまず迎えた第一の試練は、指図(図面)争いだった。金閣寺を建立した京の池上家、奈良の大仏殿建造を担った中井一門ら、世の有力候補を向こうに回し、又右衛門が信長とその家臣に示した指図と城の模型は、なんと施主の意向を無視した吹き抜けのない設計だった。怒りをたぎらせながら理由を問うた信長に対し、又右衛門は「天主に吹き抜けなどあれば炎の道になり申す。お屋形様のお命をお守りするのが、われら大工の務め。炎の道など作ることは出来ませぬ」と断言。その想いに打たれた信長は、「3年で建てろ! 又右衛門が総棟梁じゃ!」と叫ぶのだった。こうして、大和六十六州全ての職人、そして名もなき百万の民の命運が又右衛門に託されることになる…。
1576年(天正4年)1月17日、安土城の築城工事が開始される。築城奉行には丹羽長秀(西岡コ馬)が任じられた。何万もの民が集まり、次第に活気づいていく安土の町。又右衛門門下の大工たちも次々に作事に当たり始めた。しかし、又右衛門には次なる試練が待ち受けていた。それは七重の天主を支える親柱の材料となる檜の探索だった。必要なのは、二尺五寸(約75cm)角の檜であった。それほど巨大な檜は樹齢にして2000年以上。存在するとすれば、木曾上松にしかないと思われた。だが、木曾は信長の敵方・武田領である。まさに命を賭しての探索となるが、信長は再び又右衛門の並みならぬ気概を感じて、木曾行きを快諾するのだった。
木曾義昌(笹野高史)のもとへ参上した又右衛門は、杣頭(そまがしら)の甚兵衛(緒形直人)に導かれてなんとか檜探しを始める。何日も道なき道を歩く二人。甚兵衛が折々に候補の檜を示しても、又右衛門の首は縦に振られない。そんな又右衛門に対し、甚兵衛はある夜「七重の城か、オラも見てみてえ」とつぶやく。次第に二人の間の溝が埋まりかけた朝、又右衛門はついに親柱に見合った檜を見つける。だが、それは伊勢神宮の式年遷宮のために用意されていたお備木だった。
「大雨が降るまで待て。お主の夢にオラも賭けてみる」甚兵衛もまた命を賭して又右衛門と固い約束を交わすのだった。
その頃、安土では戦のおふれが出され、岡部一門からも5人の出立が命じられた。戦場への出陣もまた、大工の仕事。作事のこともあり、平次(寺島進)に代わり、市造(石田卓也)が戦地へ赴くことになった。市造にひそかに思いを寄せていた又右衛門の一人娘・凛(福田沙紀)は、やり場のない怒りと悲しみを築城と父にぶつけるしかない。「父さんはひどい。お城のためなら仲間だって見捨てられる」。そんな彼女の頬を、母の田鶴(大竹しのぶ)は意を決して張った。「お父様をおとしめるのは私が許しません」。泣き崩れる凛を、田鶴は優しく抱いた。
工期はあと2年。しかし、檜はなかなか届かなかった。雨も降らない。苛立つ作事場の人間たち、信長の家臣たち。苦悩する夫のために、田鶴は咳き込みながら神社でお百度を踏む。そんな願いが天に通じたのか、ついに、大雨が安土に降り注いだ。やがて晴れ渡ったある日、木曾の檜が琵琶湖の湖面を秀吉(河本準一)の先導で引き連れられてきた。その光景に思わず手を合わせて感涙する田鶴。親柱の材木は届いた。無論、それは甚兵衛の落命も同時に意味していた。
いよいよ、親柱を建てる作業が始まった!白装束をまとった又右衛門の号令で、親柱が何万もの人間の手で引き上げられていく。徐々に天へ向かって垂直に立ち上がっていく親柱。歓声を上げる民衆、大工たち。しかし、喜びも束の間、病に冒されていた田鶴が倒れてしまう…。
又右衛門の苦闘は続いた。石工の清兵衛(夏八木勲)と共に、三万貫もの蛇石の運搬の指揮をとっていたところ、信長の命を狙う乱破たちが動き出す。その中には、門下の熊蔵(山本太郎)が思いを寄せていた水仕女のうね(水野美紀)の姿もあった。斬り合いの中で蛇石は転がり落ち、火薬がくすぶる大地には死屍累々の惨状があった。嘆き悲しむ民たちの為に、明日の作事をとりやめにする又右衛門。しかし信長は「作事はお前たちの戦場。戦に死はつきもの。情は不要じゃ!」と、休むことを断じて許さない。又右衛門は「作事は職人一人一人の心をを組んでなすもの。職人たちの心が離れては事はなりません!!」と心のたけを振り絞る……。
さらに追い討ちをかけるように、また新たな事件が起きる。大雨の夜、地下蔵では親柱の周りの敷石が沈み、親柱が天主を突き上げていた。このままでは梁が折れるか、親柱が裂けるかのどちらかである。又右衛門は意を決し、親柱の根元を4寸ほど切ることにする。そのためには梁と親柱が支える城全体の信じられない重さを人力で持ち上げなければならない。覚悟を決めた又右衛門の下に、全ての職人たち、女たちが静かに集結した−!
